塔を数えよ
詩篇48:1-14
詩篇48篇には、私たちに与えられる神の豊かな恵みと、私たちが送るべき歩みが、比喩をもって鮮やかに語られている。
まず、「シオンの山」という表現に着目したい(2節)。シオンは、エルサレムの愛称だ。ダビデがエルサレム南側の要害を攻め取ったとき、その名が記された(2サム5:7)。神は、このシオンをご自分の住まいとして選び、ダビデの子孫の祝福を約束され、救い主の預言が与えられた(詩132:11-18)。キリストは、この預言の成就として来られた(2テモ2:8)。サタンに支配され、罪によって滅びる存在の私たちを救うためだ。キリストの十字架と復活こそ、サタンに対する勝利だった(黙5:5,1コリ15:57)。私たちは、自分の罪を悔い改め、キリストを救い主と信じることによって、罪の赦しと滅びからの救いが与えられる。サタンの支配から解放された私たちは、心の中にシオンへの大路が作られる(詩84:5-7)。私たち自身が、キリストを通して「シオンの山」としていただき、神の御前に出ることのできる者となる。私たちの心の中にキリストの救いが土台として据えられているから(1コリ3:11)、神様ご自身が私たちの砦なり、私たちを守り、助け、導いてくださる(3節, 詩18:2)。これが、キリストに救われた者の輝かしい歩みだ。
こうして、救われた者はやがて必ず、自分の内に罪の根があることに気が付く。まだ世と罪を慕い、神に逆らって己が腹を通そうとする肉だ。今日の箇所に「タルシシュの船を砕かれる」という表現がある(7節)。タルシシュは、金や銀などの産出と加工で富を誇った国だ。ユダ王国4代目の王ヨシャファテは、富を求めてタルシシュへ行く船団を結成した。そのために、神に逆らうイスラエルの王アハズヤと同盟まで結んだ。神は、この船団を難破させた(2歴20:35-37)。また、預言者ヨナは、神からニネベに行って宣教するようにと命じられるが、逆らってタルシシュ行きの船に乗り込んだ。神が大風を起こされ、船は難破しそうになった(ヨナ1章)。どちらも、救われた後、肉のために神に逆らう私たちの姿だ。神に従うよりも、世の富、幸せ、快楽に心を奪われる肉の姿だ。こうした肉を温存している限り、私たちは肉のために滅びなくてはならない。ヨシャファテやヨナのように、神の東風によって砕いていただかなくてはならない。
私たちがなすべきことは、自らの肉の姿を認めて神の前に出ていくことだ。私たちが心からそのようにするなら、神は私たちを真実をもって導き、十字架を示してくださる。示された十字架に自らをつけて始末するなら、キリストが我が内に臨み、生きて働いてくださる(ガラ5:24, 2:19b,20a)。私たちは、内に生きてくださるキリストを通して、神に喜んでいただく者となる。シオンの山にふさわしい者、都をとこしえに堅く立てられた者となる(8節)。いつも主の恵みを感謝し、主の御名と主の誉れを表し、義に満ちた主の御手に導かれて歩む(9-11節)。
サタンは、容赦無く私たちに攻撃をしかけてくる。しかし、キリストが私たちの内で、塔となって私たちに敵を見破らせてくださり、城壁となって私たちを守ってくださり、宮殿となって、私たちに揺るがない平安を与えてくださる(12, 13節, 詩61:3.4, 箴18:10)。
さらに私たちは、塔として再臨のキリストを待ち望む(ゼカ14:4-11)。聖なる歩みを送る者を、主は迎え、引き上げてくださる。
私たちはどのような歩みを送っているか。自らの姿に光を当てていただきたい。





