礼拝メッセージ

礼拝で語られる 聖書の言葉

毎週日曜日に行われている礼拝で語られたメッセージを配信しています。
ところどころ、慣れない言葉も出てきますが、全体的には、平易でわかりやすい内容です。

"キリスト教や教会には興味があるけど、いきなり出席するのには抵抗がある"という方は、
ぜひ配信されているメッセージをお聞きになって、
文字と映像から、雰囲気を味わっていただけたらと思います。

※毎週日曜日の午後に更新されます。

2021.10.31

義人は信仰によって生きる

ローマ1:1-17

本日は、宗教改革記念日だ。1517年のこの日に、マルティン・ルターが95ヶ条の論題をヴィッテンベルグ城教会の扉に張り出したことを記念する日だ。ルターは、「義人は信仰によって生きる」(17節)と書かれた御言葉に立って、“人は、信仰によって神から義とされる”と説いた。いわゆる信仰義認だ。私たちも、本日、信仰について大切なことを教えられたい。

人は、キリストの十字架と復活を信じる信仰によって、神から義なる者と認めていただくことができる。ルターが目を開かれて、人々に説いたのは、この聖書の中心的なメッセージだった。私たちはこの真理によって、キリストによる罪の赦しの救いをいただき、信仰の歩みを始めることができる(ロマ3:22, エペ2:8)。

ルターの時代、教会では、行いによる義、すなわち、奉仕や献金や善行の分量によって、神からの恵みの分量が変わると教えられていた。これは、現代の私たちも陥りやすい誤りかもしれない。しかし、全ては信仰による。私たちの救いの土台が信仰であるならば、私たちに注がれる恵みの土台も信仰だ。神は私たちの信仰があるかどうかを見ておられる。そして、私たちの信仰が育つように、強くされるように、深まるように、導いてくださる(ヘブ11:6)。

さて、本日の箇所には、結論となる17節に至るまでに、信仰についての記述が3箇所ある(5,8,12節)。ここから、神が育ててくださる信仰の3つの側面を学ぶことができる。

  1. 信仰による従順

「すべての異邦人の中に信仰の従順をもたらす」(5節)とある。異邦人とは私たちのことだ。私たちが神に従うことができるのは、信仰による。まずキリストが、ご自身の歩みをもって、信仰による従順を示された。徹底した従順と信仰をもって、父なる神の御心に従って歩まれ、その行き着いた先が十字架だった(ヘブ5:8,9,1ペテ2:21-24)。このキリストの十字架による救いを明確にいただいた者は、キリストのように信仰による従順をもって生きる者となるようにと導かれる。

  1. 信仰による刷新

「互いの信仰によって、ともに励ましを受けたい」(12節)とある。人間同士で励まし合うというよりも、聖霊から励ましを受けるという意味だ。しかも、ただ励まされるというのではなく、信仰によって新しくしていただくということだ。信仰による十字架の救いを確かにいただいた者は、内に残る罪の根のために、主に喜ばれる信仰の歩みを全うできない現実にぶつかる。どうしても、内に主に来ていただかないとやっていけないところに行き着く。信仰をもって十字架を見上げ、己を十字架につけて始末するならば、内に主が臨んでくださる(エペ3:17a, ガラ3:14)。これが信仰による刷新だ。

  1. 信仰による伝播

「信仰が語り伝えられ」(8節)るとある。信仰によって救われるという聖書の福音も、信仰によって神の前を歩んでいくというクリスチャンの姿も、その信仰が他の人に語り伝えられ、次の世代に受け継がれ、広がっていく。信仰による伝播だ。復活後のキリストは、天に昇られる前に弟子たちに福音を語り伝えるよう命じられた(マル16:15-20)。パウロは、他の弟子たちとともに、この働きに召され、自分の信仰の姿を通して福音を語り伝えた(使徒26:17,18)。私たちも、まず自らが信仰による全き救いをいただき、信仰による歩みを徹底することで、信仰による伝播のわざに加わることができる。

今もなお、ルターの宗教改革が記念されるのは、信仰が私たちの救いの土台であり、私たちの神の前での歩みの基本だからだ。私たちも、今一度自らの信仰を振り返り、吟味し、さらに強めていただくように求めていきたい(2コリ13:5a)。