礼拝メッセージ

礼拝で語られる 聖書の言葉

毎週日曜日に行われている礼拝で語られたメッセージを配信しています。
ところどころ、慣れない言葉も出てきますが、全体的には、平易でわかりやすい内容です。

"キリスト教や教会には興味があるけど、いきなり出席するのには抵抗がある"という方は、
ぜひ配信されているメッセージをお聞きになって、
文字と映像から、雰囲気を味わっていただけたらと思います。

※毎週日曜日の午後に更新されます。

2021.09.19

私たちに与えられる忍耐と励まし

ローマ15:1-13

私たちは今日の個所から忍耐について、大切なことを学ぶことができる。

  1. 忍耐の意味

①忍耐は、神の愛とキリストの救いを土台としている。私たちに対する熱い愛の思いから、神はキリストを私たちのところに遣わされ、十字架につけてくださった(1ヨハ4:9,10)。このキリストの十字架によって私たちに救いが与えられた。ご自分の御子をお与えになるほどの神の愛に触れ、十字架の上に完成されたキリストの救いを明確にいただいた者が、真の意味での忍耐を持つことができる。

②忍耐は、信仰を通して働く。キリストの救いに与った者たちは、キリストを信じる信仰によって忍耐を働かせることができる。信仰から忍耐が生まれ、忍耐がさらなる信仰を生み出していく。信仰を通して忍耐が強められ、忍耐を通して信仰が強められる(ヤコ1:3,4)。この意味で、忍耐と信仰は表裏一体である。

③忍耐は、キリストに対する希望が据えられている(4節b,1テサ1:3)。キリストを信じる者たちの忍耐には、絶望に終わらない希望がある。神の栄光に与るという希望である(ロマ5:2-5a)。このキリストに対する希望に基づいているので、私たちは忍耐することができる。

  1. 忍耐の目的

忍耐は、私たちの「霊的な成長」(2節)を目的とする。続く3節の引用(詩69:9)は、キリストの宮きよめの場面を彷彿させる(ヨハ2:13-17)。「霊的な成長」と宮きよめがどう繋がるのか。「霊的な成長」は建物を建て上げるという意味である。

私たちは神の建物であり(1コリ3:9)、神の家である(ヘブ3:6)。神の家を治めることに忠実なキリスト(同)が宮きよめをしてくださる。なぜなら、神の宮と偶像には何の一致もないからである(2コリ6:16-18)。救われた後もまだ私たちの内側に残る古い罪の性質を、私たちが意志と信仰をもって十字架につけて始末するとき、私たちの内側にキリストが臨んでくださる。キリストが私たちの内側から働き、私たちは生きた神の宮として歩むことができる(同)。「霊的な成長」とは、ここまでの恵みに私たちを至らせることであり、私たちが忍耐する目的はここにある。

  1. 忍耐の出どころ

忍耐は、神から与えられるものである。私たちの素質や功績ではない。元は神の御性質であり、人間は神に忍耐を強いる存在だった(ロマ3:25c)。そのような私たちのもとにキリストが遣わされ、私たちに神の忍耐を指し示してくださった(4,5,2テサ3:5)。私たちはキリストの救いに与ることによって、キリストの忍耐に倣うことができる。そして、忍耐が神から与えられたように、私たちへの励ましもまた神から与えられる。

励ましとは、ギリシャ語で慰めとも助けとも訳される言葉で、原義は”傍に呼ばれた者”となる。聖霊のことである。神は私たちのすぐ傍に聖霊を呼んでくださり、いつも私たちのすぐ傍で励まし、慰め、助けてくださる。この聖霊の力があるから、私たちは信仰による喜びと平安に満たされながら、また、希望にあふれながら忍耐の道を進んでいくことができる(ヨハ14:26,27,16:33)。

神は私たちに忍耐と励ましを与えてくださる。私たちは聖霊の力によってキリストの忍耐を進んでいきたい(13節)。