礼拝メッセージ

礼拝で語られる 聖書の言葉

毎週日曜日に行われている礼拝で語られたメッセージを配信しています。
ところどころ、慣れない言葉も出てきますが、全体的には、平易でわかりやすい内容です。

"キリスト教や教会には興味があるけど、いきなり出席するのには抵抗がある"という方は、
ぜひ配信されているメッセージをお聞きになって、
文字と映像から、雰囲気を味わっていただけたらと思います。

※毎週日曜日の午後に更新されます。

2020.09.27

クリスチャンの成長

エペソ4:11-32

クリスチャンの成長がどのようなものであるか、エペソ書4章から学ぶことができる。

まず、軸として貫いているものがある。downとupの関係である。この世では、成長はupで表現される。Aがupすると、それに応じてBもupする。これを成長と人は言う。例えば、年齢を重ねる(up)と体が大きくなる(up)。成績が上がる(up)と学力が上がる(up)。何かのスキルを身に付ける(up)と仕事がうまくできるようになる(up)。

しかし、神の前では全く異なる法則が働く。私たちがdownすると、それに対して神はupを与えてくださる。例えば、へりくだった者(down)に神の栄光が現される(up)。自らを明け渡した心(down)に御業が実現する(up)。罪を悔い改めた魂(down)に救いが与えられる(up)。己を捨て切った状態(down)に主が臨んでくださる(up)。クリスチャンの成長はこの世のそれとは異なる。だから、世と同じ視点で“成長している”“成長していない”を判断してはいけない。

1. キリストの土台を据えていただく

よく信仰の土台、教会の土台はキリストであると言われるが、成長の土台もキリストである。キリストを土台にしていないと健全な成長はありえない(エペ2:20,21、1コリ3:11)。これは、キリストの十字架による救いを明確にいただくということである(21,24節)。罪の赦しと義認を通った者がクリスチャンとしての成長を始めていくことができる。ここで注意が喚起されている。明確に救われた者には、必ず吹き回そうとしたり、もてあそぼうとするものが来る(14節)。しかし、私たちは「異邦人(=神を知らない人たち)がむなしい心で歩んでいるように歩んではな」らない(17節)。キリストについて聞き、教えていただきながら(21節)、成長の道を進んでいくべきである。

. 心を新たにしていただいて、キリストと同じ心で歩む

明確な救いをいただいた魂は、必ず自らの真相にぶつかる。「偽り」(25節)、「怒り」、「憤り (=恨み)」(26節)、「盗み (=不誠実)」(28節)、「悪いことば (=悪口、陰口、そしり)」(29節)、「無慈悲…など」(31節)が心に湧いてくる自分に気がつく。だから、“捨てよ”と語られている(22,25,31節)。つまり、キリストの十字架につけて始末することである。そのように処断した魂にご聖霊が臨んでくださり、キリストが内に住んでくださる(エペ2:21,22, 3:17a)。心が新しくなる(23節)こと、新しい人を着る(24節)こと。そのような人は、「優しい心で」(32節)で生きる。単に優しい親切な心という程度ではない。“キリストと同じ心で”ということである。キリストが内に住んでくださる魂は、キリストの心を自分の心とすることができる(ピリ2:5文語)。

3. キリストの体を建て上げる

内住のキリストをいただいて、それで成長が完了ということではない。「新しくされ続け」(23節)とある。クリスチャンの成長の真髄はキリストの体を建て上げること。かしらであるキリストに向かって(15節)、部分である私たち一人一人が組み合わされ、つなぎ合わされていく(16節)。そうして、さらなる成長を続けながら、神のための働きをなしていく(コロ2:19b、1コリ12:27)。「その分に応じて」(16節)という言葉に注目したい。元来“量り”という意味の語が発展して“ふさわしく”という意味でこのように使われている。「キリストの賜物の量り」(7節)、「キリストの…身丈」(13節)に同じ語が使われている。キリストの体を建て上げるとは、私たち一人一人がキリストの賜物、すなわち、救いによって成長を始めていただき、キリストの身丈、すなわち、聖潔の信仰に達する成長を経て、キリストの体を構成するのにふさわしい部分として用いていただくことである。

最後に、このクリスチャンの成長が著しく実を結ぶのは教会においてである(エペ1:22、5:30-32)。教会を通して、キリストの体の建て上げは進んでいく。教会につながる私たちは、教会において成長し、教会を通して神の御業の前進を目の当たりにさせていただくことができる。私たちはさらに成長していきたい。そして、キリストの体を建て上げていく者にならせていただきたい。