嵐を静めてくださるキリスト
マルコ4:40
こんにちは。ご機嫌いかがでしょうか。
今年も、短い梅雨が終わり、厳しい猛暑の夏本番がやってきました。夏といえば、日中のかんかん照りにも参りますが、夕方になると突然ゴロゴロと雷が聞こえて雨が降ってくる夕立に見舞われることがあります。最近では、夕立といったレベルを越えて、ゲリラ豪雨と呼ばれる突然の雷雨に襲われて、とんでもない被害をもたらすこともあります。
天気の急変に翻弄されるのは私たちだけではありません。聖書にこのような記事が収められています。イエス様と弟子たちが、舟で湖の向こう岸へ渡ろうとされたときのことでした。突然、激しい突風が起こって、湖が嵐になりました。容赦無く入り込んでくる水で、舟は瞬く間にいっぱいになってしまいました。弟子たちは半ばパニックになりながら、イエス様に助けを求めました。イエス様は、すぐに立ち上がり、湖に向かって「黙れ、静まれ」と一喝されました。すると、途端に風は止み、あれほど荒れ狂っていた湖はすっかり凪になったのです。そして、呆然とする弟子たちに向かって、イエス様はこうおっしゃいました、「どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか」。
私たちも、嵐の中を沈みかける舟のような存在です。嵐と言っても、仕事や家庭でのトラブル云々のことではありません。私たちの魂についてのことです。私たちの魂は、罪のために神様から遠く離れ、滅びなくてはいけないものです。まさに、転覆しかかっている舟のようです。しかし、私たちのもとに、神様からイエス・キリストが遣わされました。キリストは、十字架にかかって死に、死からよみがえってくださいました。このキリストの十字架とよみがえりこそ、神様が私たちのために備えてくださった救いの道です。どんな罪を犯した人であっても、自分の罪を悔い改め、キリストを救い主と信じるなら、罪の赦しと滅びからの救いをいただくことができます。救い主キリストが、私たちの魂に荒れ狂う罪という嵐を静め、舟を転覆から守るように、私たちの魂を滅びから救ってくださるのです。
救いをいただいた後も、嵐は私たちを襲います。神様から目をそらせよう、信仰を捨てさせようという嵐です。しかし、私たちがイエス様に助けを求めるなら、キリストは、すぐに立ち上がり、嵐を静めてくださいます。「どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか」というキリストの言葉は、“私が舟の中にいるのだから、怖がる必要などないではないか、こういうときこそ、信仰を働かすべきときなのだよ”という意味だったのです。このキリストがいつも一緒にいてくださいますから、私たちは平安と希望と喜びをもって生きていくことができます。
キリストは嵐を静めてくださるお方です。私たちも、罪の嵐を静めていただき、キリストの救いをいただきましょう。
教会ではあなたのお越しを心からお待ちしています。お気軽にお越しください。