キリスト教と私

教会員によるキリスト教との出会いの体験談

教会に来られている方々が、どのようにしてキリストに出会い、
どのようにして新しい人生を送るようになったのか、体験談をご紹介します。

2021.11.20

「病気をきっかけに知った神様」行政 賢二

聞き手:今回は愛知県一宮市に住む行政賢二兄に登場していただきます。行政兄は働き盛りの時に脳卒中で倒れ、身体の自由が奪われたことがきっかけでイエス・キリストと出会われたのですね。
行政兄:はい、あの時は本当につらかったですね。でも、あの苦しみがなかったら、イエス様と出会うことはなく、今の私もなかったのだなと思いますね。神様のお導きは不思議だなと思いますね。
聞き手:奥様の背後の祈りもあったのですね。今も奥様の助けがあればこその生活ですよね。
行政兄:本当にその通りです。普段はなかなか言葉に出して感謝を表せないのですが、心の中ではいつも妻に「ありがとう」と言っているんですよ。
聞き手:このような状況ですから、日曜日に礼拝をささげることがとどめられていますね。
行政兄:それが一番残念です。でも、毎週、宝塚栄光教会の礼拝をウェブで送っていただいていますから、オンライン礼拝をささげることができていることは感謝です。
聞き手:今年70歳を迎えられましたが、夢は何ですか。
行政兄:宝塚に帰ることです。コロナも収まって、教会の皆さんとの温かい交わりの中に戻りたいと願っています。
聞き手:実現するようお祈りしています。では、お証しをどうぞ。

病気をきっかけに知った神様

私は、宗教には縁のない環境に生まれ育ちました。教会を知ったのは、結婚してから、広島で結婚後、先にクリスチャンになった妻の教会への送迎がきっかけでした。

転勤で名古屋や大阪を転々とし、その後宝塚へ引っ越し、縁あって妻の通っていた宝塚栄光教会で岩間先生のご指導により、イエス様の十字架を信じて救われ、洗礼を受けました。

19年前の51歳の時、神戸で脳卒中で倒れ、右片麻痺の後遺症が残りました。開頭手術をした頭蓋骨が異常に痛み、2週間うなされ、死んだほうがましだと思ったものです。

入院中には、胸が氷で固めたようにガチガチになり、カナズチでたたいてほぐしたい程苦しかったのを思い出します。

そんな時、神様を信じている妻から「神様は耐えられない試練は与えられないよ」と聞かされていました。

意識の、もうろうとしている中での出来事ですが、ずっと一緒にいてくださった方がいて、あれはイエス様だったと今でも思えてなりません。

そしてリハビリをして、左手で大体のことは何でも出来るようになり、杖と装具をつけた足で、一人で歩けるようになり、会社に復職する事も出来ました。

片手片足でも楽しい日々を過ごす事が出来ていましたが、8年後に2度目の脳卒中になり、今度は、残されていた左手左足にも力が入らなくなり、字も絵も描けなくなり歩く事も出来なくなり、人と話す事も満足に出来ず、よだれは常に出るようになり、楽しいと思う事がなくなりました。何のために生きているのかと思ったこともあります。

クリスチャン作家の三浦綾子さんが書かれた本に、「人間には生きる権利はない。生きるのは義務だ」とありました。死ぬほどいやな事があっても、生きるしか選択肢はない・・・ということかと思いました。また人の為に動くのが「働く」という事であるとも書いていました。

私のように、自分のためにだけ「モゾモゾ」動くだけでは、うじ虫と一緒だと思います。今は食事・風呂・着替え等は妻の介助なくしてはできません。妻は良く働くなと感心し感謝もしています。

受け入れがたい人生ですが、この病気をきっかけに、神様の事を知り得たことには感謝しています。病気をして初めて分かる事も多く、肩で風を切って歩いていた自分には、考える事の無かったような事も学ばせて頂きました。

病気も悪いことばかりじゃないと思えるようになりました。あの時死んでおれば、誰も苦しまなくて済んだものを、神様はこんな私をまだ何かに使われようとされているのだと思います。いつその時がきてもいいように、これからも聖書を愛読していきます。今後、残された人生を、神様の憐みの中で歩んで参りたいと思います。