礼拝メッセージ

礼拝で語られる 聖書の言葉

毎週日曜日に行われている礼拝で語られたメッセージを配信しています。
ところどころ、慣れない言葉も出てきますが、全体的には、平易でわかりやすい内容です。

"キリスト教や教会には興味があるけど、いきなり出席するのには抵抗がある"という方は、
ぜひ配信されているメッセージをお聞きになって、
文字と映像から、雰囲気を味わっていただけたらと思います。

※毎週日曜日の午後に更新されます。

2026.10.11

主のための剣

士師記7:9-23

 士師記は、イスラエルの民のカナン入植後の歩みを記す。ヨシュアに率いられてカナンの地を占領した彼らだったが、やがて世代が代わると、神に背き、偶像礼拝の罪を重ねるようになった(2:7-12)。怒られた神は、周辺の民族によって彼らを苦しめられた(2:13-15)。けれども、神は彼らを決して見放さず、士師(「さばきつかさ」)を起こして彼らをお救いになった。士師によって救われた彼らは、それでも、罪から離れようとせず、神に背き続けた(2:16-19)。このように堕落の一途を辿る民の姿と、神に導かれて鮮やかな勝利を成し遂げる、12人の士師たちの姿を克明に描く士師記は、心を頑なにして神から背くなら、勝利は得られず、心を神に向けて神に信仰をささげるなら、豊かな勝利が与えられるという、一貫したメッセージを伝える。


 5人目の士師ギデオンは、他の士師と違って弱かった。そして、それを自覚もしていた(6:15)。この弱さこそが勝利の秘訣となった。ミディアン人の略奪によって弱くなっていた民を救うため(6:6)、神は弱かったギデオンは選び、強く立たせてくださった。


 不思議な方法で神が選ばれた兵(7:1-8)を率い、ギデオンは攻撃の備えをした。神は彼の抱える不安を見透かし、彼に偵察をさせた(9節)。彼と従者が敵陣に行くと、敵がギデオンの剣を恐れている話が聞こえてきた(13,14節)。彼は勝利の確信を得た(15節)。


 ギデオンが兵たちに持たせたのは、たいまつを入れた壺と角笛だった(16節)。壺は、もろさや弱さの象徴だ。たいまつは、神との契約の象徴(創15:17,18a)、角笛は、来るべき王の到来を待ち望む姿勢の象徴(ヨエ2:1)だと言われる。壺が砕かれたという点が大切だ(19,20節)。私たちも壺のようにもろく、弱い存在だ。そんな私たちを神は強め、用いてくださる。けれども、私たちの壺は砕かれなくてはならない。戦いの結果は大勝利だったが、その鍵は砕かれた壺だ。


 主の到来を待ち望む角笛は既に吹かれている。キリストは、新しい王として神のもとから遣わされて来られた(マタ2:2)。罪によって滅びる私たちを救うためだ。キリストの十字架と復活によって、私たちの救いは完成した。自分の罪を悔い改め、キリストを自分の救い主と信じる者には誰でも、罪の赦しと滅びからの救いが与えられる。この救いをいただいた者は、神を信じ、神に従う新しい生き方を始める。


 こうして救われた者はやがて必ず、自らの内に潜む罪の性質に気が付く。救われてもなお罪を慕い、罪に浸っている。表向きはそれらしく振る舞っても、腹の中では神に背いている。自分はこれでよいと開き直り、心を頑なにしている。そのような肉を温存している限り、私たちは滅ぼされてしまう。私たちがなすべきことは、砕かれて神の前に出ることだ。ギデオンたちが砕いたように、私たちも肉という壺を砕くのだ。私たちがそのようにするなら、神は私たちを導き、十字架を示してくださる。示された十字架に自らをつけて始末するなら、キリストが我が内に臨み、生きて働いてくださる(ガラ5:24,2:19b,20a)。私たちの内で明るく輝くキリストを通して、私たちは神の光を照り輝かしながら歩む(2コリ4:6,7)。そして、主のための剣となって、敵に大勝利をとることができる(エペ6:11-13)。


 角笛はもう一度吹かれる。キリストが再び来られるときだ(1テサ4:16,17,1コリ15:52)。そのとき、共に引き上げていただけるのは、主のための剣として戦い、勝利をとった者だ。


 私たちは主のための剣となっているか。壺が砕かれ、たいまつを灯す歩みを送っているか。自らの姿を省みたい。