礼拝メッセージ

礼拝で語られる 聖書の言葉

毎週日曜日に行われている礼拝で語られたメッセージを配信しています。
ところどころ、慣れない言葉も出てきますが、全体的には、平易でわかりやすい内容です。

"キリスト教や教会には興味があるけど、いきなり出席するのには抵抗がある"という方は、
ぜひ配信されているメッセージをお聞きになって、
文字と映像から、雰囲気を味わっていただけたらと思います。

※毎週日曜日の午後に更新されます。

2014.11.23

リバイバルへの渇望

Ⅰ列王記18:41-46

エリヤはカルメル山頂でバアルの預言者と対決し、火をもって答える神に信頼して、大勝利を収めた。しかし、エリヤにはなおなすべき事があった。雨を降らせることだ。民には真の神を十分に示したが、頑ななアハブには更にしるしが必要だった。

彼は王に、「激しい大雨の音がする」と言った(41節)。まだ雨の兆しは無いのに、彼は信仰によって大雨の音を聞いたのだ。彼は山頂に残り、祈った(42節)。

エリヤは七度祈り、その都度、空模様を確認した。一度目、二度目…、何の兆候もない。しかしなお祈り続けた。七度目に「手のひらほどの小さな雲」(口語訳では「手ほどの雲」)が起こっている報告を聞いた。彼は大雨を確信し、王に伝令を出した。

やがて小さな雲は空一面をおおい、エリヤの信仰の通り、激しい大雨となった(45節)。3年ぶりの雨だった。彼の祈りが聞かれたのだ。

我らもリバイバルの大雨を呼び下す祈りを捧げたい。リバイバルとは、まず、信仰が眠っていたクリスチャンが霊的に回復され、信仰の火が再燃させられることだ。まず先に救われている者が復興されなければならない。祭壇が問題になる。我らの祭壇は崩れていないか。礼拝の祭壇、祈りの祭壇、十字架信仰の祭壇、そして献身の祭壇が崩れていないか。崩れた祭壇は、繕わなければならない。礼拝は厳守すべきだ。信仰の祈りを捧げたい。十字架による全き救いをいただいて、真実な献身をしたい。

繕うには謙遜と従順が必要だ。へりくだって自らの崩れた姿を認め、御言葉に従って修復をしたい。そこに聖霊の火は下る。古き性質を焼き尽くし、新しい魂にする。自らにリバイバルが必要と認め、主の前に出よう。

さらに、リバイバルとは、新しく救われてくる魂が起こされるみわざだ。救われる魂がもっと多く起こされなければならない。世の終わりが近づいているからだ。家族、友人、近隣の救いのために祈りの手を挙げよう。手ほどの雲しか見えないかもしれない。しかし、そこからがスタートだ。神はみわざをなしてくださる。あとはこちらの信仰の問題だ。

リバイバルへの期待を持とう。自らのリバイバルと、救霊のリバイバルを求めよう。主に立ち上がっていただかなければならない。そのためには、①妨げとなる罪と不信仰を取り除こう。十字架を仰ごう。不信仰のパン種を除こう。②リバイバルの幻を見よう。主を信じよう。主の大能を信じよう。③リバイバルのために祈ろう。祈り続けよう。我らの使命は祈りだ(ヨハ15:16)。義人の祈りは大きな力がある(ヤコ5:16b)。

エリヤだから大雨を呼び下せたのではない。彼も我らと同じ人間だった(ヤコ5:17)。我らも祈りによって主のわざを引き起こすように召されている。義人の祈りを、神に受け入れられ貴ばれている者としての祈りをささげよう。

もっとリバイバルへの渇望を持とう。自らのリバイバルと、救霊のリバイバルを求めていこう。主に立ち上がっていただこう。