平和をつくる者
マタイ5:9
こんにちは、ご機嫌いかがですか。
今年も8月15日、終戦記念日が近づいてきました。この時期になると、毎年のように「平和」が論じられます。しかし、「平和」はいつも論じられるべきだと思いますし、論じるだけではなく、真の平和を目指してたゆまない努力を続けて行くべきでしょう。
とくに私たち日本人は、広島・長崎の被爆、また空襲などによって、多くの民間人が犠牲になったことを忘れないだけでなく、中国をはじめ、アジア諸国に侵略をしていった加害者であったことを見落としてはならないと思います。
平和への努力、と言いましたが、具体的に何をしたらいいのでしょうか。私は、若い頃、政治が変われば平和が実現すると思い込んで、ビラを配ったり、デモに参加したりしました。しかし、いくら頑張っても、政治は変わりませんでしたし、真の平和は実現しませんでした。あの時の失望感を今もはっきりと覚えています。
けれども、失望したままで終わっていません。今は、真の平和への道を知っています。それを見いだしたところは、イデオロギーでも、市民運動でもなく、聖書でした。イエス・キリストはこう言われました。「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」マタイの福音書5章9節の御言葉です。
「平和をつくる者」とは、どういう人でしょうか。その前に、まず誰との平和かをはっきりさせなければなりません。私たち人間は、天地を創造された神様の御手によって造られ、神様と強い絆で結ばれていました。ところが、私たちは罪を犯し、神様に背く者となり、神様との絆は断たれてしまいました。これが罪人の私たちの姿です。
神様との絆が断たれた私たちは、滅びる他はありませんでした。しかし、愛なる神様は、私たちが滅びるのを哀れに思われ、御子キリストをお送りになりました。罪なき神の子キリストは、私たちの罪のために、身代わりに十字架にかかり、私たちの受けなければならない裁きを、受けて下さいました。
このキリストによって、私たちのすべての罪は赦され、断たれた神様との絆は回復されます。神様との平和が与えられるのです。平和とは、まず私たち一人ひとりが、キリストの十字架を通して、神様との関係が回復されるところから始まるのです。
戦争のない本当の平和が、世界にもたらされることを望みます。しかし、まず自分の魂の問題です。真の意味で「平和をつくる者」になりたいと思います。
教会では、毎週日曜日、午前10時半より礼拝を行っています。あなたのおいでを心からお待ちしています。





