あなたはどこにいるのか
創世記3:9
こんにちは。ごきげんいかがですか。
旧約聖書の創世記1章には、天地創造の様子が書かれています。神は、御言葉をもって万物を創造されました。そして、最後に神は、人間を創造されました。ただ、人間は違う方法で創造されました。創世記1章27節に「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。」とあります。神は人間を、御言葉によってではなく、ご自身のかたちとして、大地のちりで形造られたのです。
初めの人アダムとエバは、神様と共にエデンの園で幸せに暮らしていました。ところが、一大事件が起こります。蛇の姿をとったサタンによって、彼らは罪に引きずり込まれたのです。
蛇はエバに近づき、彼女を言葉巧みに誘惑して、あの木の実だけは決して食べてはならないと神様から厳命されていた木の実を食べるように仕向けました。彼女はまんまとその誘惑に乗り、その木の実を食べました。彼女に勧められて、アダムも食べました。こうして彼らは、神様の戒めに背きました。これが罪の始まりでした。罪とは何か。それは、神様の御言葉に背くこと、神様に従わないことだったのです。
木の実を食べた時に彼らの目が開き、自分たちが裸であることを恥じ、葉を綴り合せて腰に巻いて隠しました。そして、神様が近づいてこられるのを知って、こそこそと逃げました。それまでは喜んで神様の前に出て行っていたのに、神様の御顔を恐れて逃げ隠れしなければならなくなったのです。
そのような彼らに、神様はどうされたでしょうか。お怒りになったでしょうか。聖書を見ましょう。「神である主は、人に呼びかけ、彼に言われた。『あなたはどこにいるのか。』」創世記3章9節の御言葉です。全知全能の神様は、彼らがどこにいるのかご存じないはずはありませんでした。しかしあえて「あなたはどこにいるのか」と問われました。それは、彼らが素直に自分たちの罪を認め、砕かれた心で罪を悔い改めて出て来るのを待っておられたのです。
「あなたはどこにいるのか」。これは、今も私たちに投げかけられている神様の問いです。“わたしから離れて、あなたはどこにいるのか。わたしを抜きにして、あなたは何をしているのか”と神様は、私たちに優しく語りかけておられます。私たちがなすべきことは、心砕かれて“私はあなたから離れて罪を犯しました”と申し上げて御前に出て行くことです。そして、イエス様の十字架が自分のためだったと信じることです。そうするなら、神様は私たちの罪をお赦しくださいます。
神様は、私たちを厳しくお責めになる方ではなく、優しく真実にお赦しくださる方です。イエス様の十字架の血が流されているからです。そのままで御前に出て行きましょう。
教会では毎週日曜日、午前10時半から礼拝を行っています。どなたでもご自由にご参加ください。心からお待ちしています。