キリスト教と私

教会員によるキリスト教との出会いの体験談

教会に来られている方々が、どのようにしてキリストに出会い、
どのようにして新しい人生を送るようになったのか、体験談をご紹介します。

2019.12.29

「思い切って教会に飛び込んで」伊藤篤子

聞き手:今回は、2018年のクリスマスに洗礼を受けられた伊藤篤子さんにご登場いただきました。率直に申し上げて、伊藤さんは、洗礼に至るまでずいぶん遠回りをされたのですね。
伊藤姉:はい、その通りです。もっと若いころに、クリスチャンになるチャンスはあったのに、人生も晩年にさしかかった今になってしまいました。
聞き手:でも、決して無駄な時を過ごされたのではなく、今が神様の時だったのですね。
伊藤姉:そうでしょうか。
聞き手:そうですとも。神様は私たち一人一人に計画を持っておられ、最善の時に最善のことをなしてくださるのですよ。
伊藤姉:私の人生はこれからですね。真実な神様に信頼して歩んでいきたいと思います。
聞き手:はい、その気持ちを大切にして、進んで行ってください。応援しています。では、お証しをお願いします。
(なお、写真はご本人の希望により、“礼拝を献げる会衆の一人”ということにしています。)

思い切って教会に飛び込んで

私がはじめて神様を知りましたのは、今から70年あまり前のことです。小学5年生の時でした。それは、昭和21年のことで、敗戦の翌年でした。新しく出来た教会の建物は進駐軍の払い下げで、板かまぼこの形をしていました。敗戦後の楽しみのない生活の中で、日曜学校は楽しく、日曜日が来るのが待ち遠しいほどでした。当時の聖書は、今と違って文語体でした。
 私が進学しました女子短大はミッションスクールでした。毎朝チャペルでの礼拝がありました。日曜日には、寄宿舎から街の教会に通いました。短大を卒業するころ、洗礼をすすめられましたが、決心がつきませんでした。
 結婚後は、教会とは全く縁のない生活で、60年が過ぎました。その間には、悩み、苦しみ、悲しみなど、いろいろなことがありました。ストレスに押しつぶされそうになることもありました。
 そんな時、心をよぎるのは神様のことでした。もやもやした心から解き放たれて、救いを得たいと思いました。教会へ行きたいと思うこともありましたが、なかなか勇気が出ませんでした。15年あまり前に宝塚へ引っ越して来て、「Glory」を目にしてから、すでに10年の月日が経っていました。
 このたび、「行ってみたら」という夫の言葉に背中を押されて、私は、思い切って教会に飛び込みました。若いころの忘れ物を取りに戻ったような気持ちでした。そして、これまで気づかなかったことですが、自分自身が罪びとであるということに気づかされました。
 子どものころに神様を知ってから、長い道のりを迷い続けてきた私ですが、このたび、罪を口で言い表して、十字架を信じて、罪を赦され、神様の前に出ることが出来ました。赦された恵みに感謝しています。クリスチャンになったことに喜びを感じます。ここが出発点だと思っております。
 ここまで導いてくださった神様に、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。