キリスト教と私

教会員によるキリスト教との出会いの体験談

教会に来られている方々が、どのようにしてキリストに出会い、
どのようにして新しい人生を送るようになったのか、体験談をご紹介します。

2018.12.08

「驚くべき神様の御業」平野成美

聞き手:今回は、前回ご紹介した平野一貫さんの奥様、平野成美さんに登場していただきました。平野さんは、10年前にご主人と一緒に、他の教会から宝塚栄光教会に転入されたのでしたね。
平野姉:はい、不思議な神様のお導きがあったと、心から感謝しています。
聞き手:前回、ご主人からお聞きしましたが、ご主人が信仰に入られたのは、奥様の影響が大きかったようですね
平野姉:主人がクリスチャンになったのは、結婚する少し前でした。別に私が強いたのではないのですが、同じ職場で、クリスチャンとしての私の言動に何か感じるものがあったのでしょうか。そうだとすると、私のような者を神様は用いてくださったと、感謝でいっぱいです。
聞き手:今の一番の願いは何ですか。
平野姉:私たちは二人とも高齢者の域に入ってきました。主がお召しくださるまで、力の限り主を愛し、教会を愛し、お仕えしていきたいと願っています。
聞き手:では、お証しをお願いします。

驚くべき神様の御業

私は小学4年生の頃から、日曜学校に通っていました。イエス様を私の救い主と信じてクリスチャンになったのは、1956年のイースターの日でした。

このことは父の影響が大きかったと思います。 私が小学6年生の時、近所の家で、アメリカ人宣教師による、キリスト教の集会が始まり、私は母と共にその集会に出席するようになりました。 母は大阪のミッション系の女学校を出ていて、その集会への出席をとても楽しみにしていました。

父はというと、代々家に伝わる宗教があり、それに馴染まない母には様々の苦労があったようです。明治生まれの父は頑固でとにかく厳格で、私たち子供は皆怖い父のそばには寄らないという状況でした。

太平洋戦争で日本が敗けてから、その父が全く変わってしまい、無気力で、魂の抜け殻のようになってしまいました。そのような父を心配し悩んだ母の頼みで、宣教師は度々家に来て、父にまことの神様について語り、共に祈って下さいました。 やがて頑固な父が母や私とともに集会に出るようになり、そして自分の罪を心から悔いて、イエス様を救い主と信じ、熱心なクリスチャンになりました。

父がクリスチャンになってからの私の家庭は、毎日喜びに満たされるようになりました。今までに見たことのない優しい父となりました。イエス様の愛が家中に溢れていました。 父の180度の変化を目の当たりにして、私はイエス様を信じないではいられませんでした。 神様が私の家庭に現わして下さった御業を深く心に刻みました。

これらのことが起こったのは、私が中学生の頃です。 もともと体の弱かった母は、父の入信を見届けるようにして、私が中学3年生の秋に天に召されました。

私は、小学生のころから、創造主なる神様を信じ崇めるのは当然と思っていましたが、父のことを通して、私も、私自身の中にある罪が示され、その罪を贖うために私に代わって十字架にかかり血を流して下さったイエス様を救い主と信じ、バプテスマを受けました。

私の好きな聖書の言葉は、伝道の書3章11節、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」です。

 それ以来今日まで、毎日主イエス様を賛美し、祈りと感謝をもって過ごしてまいりました。 毎週の礼拝出席を大切に教会に通っております。