キリスト教と私

教会員によるキリスト教との出会いの体験談

教会に来られている方々が、どのようにしてキリストに出会い、
どのようにして新しい人生を送るようになったのか、体験談をご紹介します。

2017.08.13

「神様のご計画の中で」高津理摩子

聞き手:今回は、12年前に洗礼を受けられ、ずっと教会生活を送っておられる高津理摩子さんに登場していただきました。高津さんにお尋ねしました。高津さんは、洗礼を受ける5カ月ほど前に宝塚栄光教会に来られたのですね。
高津理摩子さん:はい、そうです。あのころは、真理に飢え渇いて、熱く燃える思いで礼拝に来ていました。それまでも自分が救われなければならない罪びとであることがわかっていたのですが、どうしたら救われるのかがわかりませんでした。
聞き手:それが、礼拝に出て、御言葉を聞いているうちにわかったのですね。
高津理摩子さん:そうなんです。牧師先生のメッセージは、決して雄弁ではありませんでしたが、訥々(とつとつ)とした語り口の中にきらりと光るものがあり、魂に入ってきました。
聞き手:お住まいから教会までは、バスと電車を乗り継いで来なければなりませんから、決して通いやすい環境ではありませんよね。
高津理摩子さん:はい、でも魂が恵まれましたから、遠いとか面倒だなどと思ったことはなく、喜んでせっせと通いました。
聞き手:今の一番の願いは何ですか。
高津理摩子さん:いつも語られる聖潔(きよめ)の信仰に立てることと、夫が教会に導かれて救われることです。
聞き手:祈っていきましょう。では、お証しをお願いします。

この所で再度お証しの機会をお与え下さった神様に感謝致します。

 私は20数年前、生涯の確かな拠り所を求めると共に、阪神大震災で家を失った義母との同居からくる重圧感から解放されたいとの願いから自宅から程近い教会に通い始めました。

紆余曲折の後、2005年のまだ春浅き頃、近放伝の機関誌『福音の光』のご縁で岩間先生の宝塚栄光教会に導かれました。岩間先生の聖書にそった簡潔で分かりやすいメッセ-ジに魅了され、それ以来私は主日礼拝を待ち遠しく思うようになりました。

メッセージを通して、私は本当の神様を知らず、また自己中心の自分の姿にも気づかされ、救われて洗礼を受けたいとの思いがより確かなものになっていきました。5月の下旬神様と先生の前で、これまでの思い出す限りの罪を悔い改め、イエス様が十字架で私のために死んで下さったと信じて、マタイ9章2節の「子よしっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」のみ言葉をいただきました。その時、深い喜びで私の心は満たされました。

受洗前の学びの最後に「髙津姉妹に洗礼を受けようという思いを起こして下さった神様に感謝します。」と牧師様が祈って下さったことを今でも鮮明に覚えております。私はその時まで教会に通いはじめたのも、洗礼を受けようと思ったのも自分の意思によるものだと何の疑いもなく思っていました。私は大きな思い違いをしていた事に気づかされると共にすべては神様の御計画によるものだとわからせていただきました。

また、何も代価を払わずにいただいた救いの恵みの豊かさは他に比べうるものはなく、神様の私どもに対する限りない愛と憐れみを知れば知る程、神様に対する感謝は増す一方です。

救われて12年の歳月が流れたにもかかわらず、神様に喜ばれない思いが時々頭をもたげます。必ず自分自身をも十字架につけ内住のキリストの恵みをいただき、神様の所有となり、まわりがどのような状況であろうともみ心に適った歩みができるようにならせていただきたいと願っています。