キリスト教と私

教会員によるキリスト教との出会いの体験談

教会に来られている方々が、どのようにしてキリストに出会い、
どのようにして新しい人生を送るようになったのか、体験談をご紹介します。

2017.04.02

「私の歩みは変わりました」田中葉子

聞き手:今回は、“教会のお母さん”のような存在の田中葉子さんをご紹介します。田中さんは、24年前にクリスチャンになられたのでしたね。
田中葉子さん:はい、今の教会に移る前の教会の時でした。
聞き手:あの洗礼式の時のことをよく覚えていますよ。洗礼を受ける決心をされて準備を進め、明日が洗礼式という時になって、気が変わり、洗礼を受けないと言い出したのですね。牧師夫人が夜遅くまでお話しても、頑として聞かず、教会にも行かないと言い張ったのですね。
田中葉子さん:そうです。思い出すだけでも恥ずかしくなります。
聞き手:いいえ、恥ずかしい事ではないですよ。でも、当日、“やっぱり受ける”と志を翻して、自分の意志で教会に来ましたね。教会では洗礼盆を隣室に用意していたのですが、玄関にあなたの姿が見えて、講壇に立っておられる牧師先生に、後ろから牧師夫人がOKの合図をしたので、洗礼盆を出して、洗礼式を行うに至ったのでしたね。
田中葉子さん:そうでした。憐れみ深い神様が与えてくださったチャンスだったのですね。
聞き手:その光景を見ていて、思わず涙が溢れましたよ。ほかの教会の人たちもそうだったと思います。
田中葉子さん:あれから24年の年月が流れましたが、あっという間だったように思えます。いろいろな事がありましたが、主は真実なお方でした。
聞き手:ほんとうにそうですね。では、お証しをどうぞ。

 私は、40才を過ぎて、近所の方に誘われ、初めて教会に行きました。車で連れて行ってもらった教会は、普通の民家でしたが、玄関に入ったとたん、とても明るく暖かく、初めてとは思えない懐かしさを感じ、ホッとしたことを今でもはっきり覚えています。

 それから、時間がある時は集会に行くようになり、そのうち、時々日曜日の礼拝にも出席するようになりました。何年かそんな事を続けていましたが、聖書のお話はあまりよくわかりませんでした。ただ、教会にいると、何か気持ちが安らぎました。

 その頃の私は、長い間の家事や育児に追われる生活から少し解放され、今までできなかった自分の楽しみや、地域や学校の役を引き受け、毎日走り回っていました。多くの友達もでき、充実した日々を送っているようでしたが、フッとむなしさを感じることがありました。

 その上、子どもたちも反抗期に入り、今までのように親の言う事を聞かず、自分の思うように子育てをすることができなくなりました。嫁姑の問題も出て来て、悩む事、落ち込む事も多く、眠れないことも度々ありました。けれども、外に出た時は、何事もないかのようにふるまっていました。

 そんなある日曜日の礼拝で、私は初めから終わりまで、涙が出て止まりませんでした。今まで自分とは関係ないと思って聞いていた聖書に出て来る罪びと、それは私自身で、多くの問題の原因は私自身にあったのだと初めてわかりました。何か起こると人のせいにし、相手を責め、自分を正当化し、人を見下したり裁いたり、相手の心を思いやることもできない、愛のかけらもない自分。私は、自分の罪の姿に愕然としました。私は滅ぶべき者だとわかり、本当に怖くなりました。

 そして、牧師夫人に導いていただき、これまで犯してきた罪を、思い出す限り神様の前に告白し、悔い改めて、罪のない神の御子イエス様が、私の身代わりとなって十字架にかかって死なれ、よみがえってくださったことを信じ、救われました。

 「子よ、心安かれ、汝の罪赦されたり」と言っていただいた時は、本当にうれしくて、感謝でいっぱいでした。心が本当に軽くなりました。

 それから私の歩みは変わりました。問題がなくなったわけではありません。苦しい事、悲しい事、どうしていいかわからない事も起こります。けれども、私のことを一番よく知ってくださり、愛してくださり、最善の事をなしてくださるイエス様に頼っていけば大丈夫です。今までのように落ち込むことはなくなりました。

6年前、最愛の孫を鉄道事故で亡くしました。小学校に入ったばかりで、踏切で電車にはねられて即死したのです。彼女は、休みになるとよく一人で泊りに来て、私と主人の間に入って一緒に寝ていました。初めての運動会も、恥ずかしそうに、でも元気いっぱいダンスも見せてくれました。そんなかけがえのない孫が、突然、私たちの前からいなくなったのです。悲しくて、辛くて、泣くこともできませんでした。私は祈りました。その時、“今までイエス様は私に最善を尽くしてくださった。そのイエス様が、悪いものをお与えになるはずがない。これはみこころなのだ”という思いが与えられたのです。

彼女は、時々教会学校に来て、聖書のお話を聞き、大きな声で賛美歌を歌っていました。そして、よく“鳥さんはいいね。どこにでも飛んで行けるから”と言っていました。今、彼女は、天国の神様のもとで静かに憩っていると信じています。

この世の中、私たちには考えられない事が突然起こってきます。けれども、神様は試練と共にのがれの道も備えていてくださいます。誰よりも私を愛し、どんな時も、いつも一緒にいてくださり、内から外から励まし、いさめ、助けてくださる真実な私の神様、イエス様を見上げて、これからもずっと信じて従っていきたいと願っています。

聖書のみことば。「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」(Ⅰコリント10:13)