キリスト教と私

教会員によるキリスト教との出会いの体験談

教会に来られている方々が、どのようにしてキリストに出会い、
どのようにして新しい人生を送るようになったのか、体験談をご紹介します。

2013.11.11

「前向きの人生に導かれて」浅倉佐和子

聞き手:今回は、9月に洗礼を受けられた若いママ、浅倉佐和子さんに登場していただきます。浅倉さんは、どのようなきっかけで教会に来られたのですか。
浅倉姉:昨年のクリスマスが近いある日、逆瀬川駅前で受け取ったポストカードに心引かれて、チェロコンサートに出席したのが最初でした。
聞き手:その時の印象はいかがでしたか。
浅倉姉:生後8ヶ月の子どもをだっこしての参加で、子どもが泣き声をあげても、やさしく受け入れてくださる教会の方々のあたたかさが心に沁みました。
聞き手:洗礼を受けることに関して、ご主人は理解してくださったのですか。
浅倉姉:はい。育児に悩んでいる時だったので、解決の糸口が見つかるなら、と思ったのでしょうか、快く認めてくれました。
聞き手:解決の糸口は見つかりましたか。
浅倉姉:ええ、見つかりました。神様に委ねていけば、きっと最善に導かれていくことを牧師夫人の千恵子先生に教えていただき、肩の荷が取れたように思います。
聞き手:それはよかったですね。これからも神様にお任せして歩んでいってください。では、お証しをどうぞ。

子どもの頃からずっと何かを求めていました。それが何かわからず、生きる意味は何だろうと考えてみたり、自分以外の誰かになりたいと逃げる気持ちになったりしていました。

子どもを産み、赤ちゃんは、目の前にいるものを、どんな人間でも、たとえ猿や狼でも、母親と思ったら慕うんだということに気づき、愕然としました。この子にとっては、私がどんな嫌な人間でも、汚い人間でも、母親であることに変わりなく、どんな姿でも母親として慕い、さらに私の行動や表情をまねして大きくなっていくということに、申し訳なさと恐怖すら感じました。

この子ためにも善い人間にならないといけないと思いました。でも、善人って何だろう、人のために行動することか、常に笑顔でいることか、何もわからず、混乱していました。

去年のクリスマスに、ついに初めて栄光教会に導かれてきました。神様の愛と赦しのお話を聞き、涙が止まりませんでした。今年の春になって、ようやく毎週礼拝に通い始め、牧師先生のお話を聞き、教会員の方々とお話させていただくうち、私が何を求めていたのか、すぐにわかりました。それは確信でした。神様の愛を確実に信じ、本物になりたい、そう思いました。

千恵子先生に導かれ、イエス様の前で罪を悔い改め、体中の罪を出し切り、イエス様がこの私のために十字架にかかって死んでくださったと信じました。そして、「子よ、心安かれ。汝の罪は赦されたり」とお言葉をいただいた瞬間、目の前が明るくなり、心の底から安心を得て、生まれて初めて前向きになれました。

そして、今までもずっと神様が守っていてくださったことに気づきました。クリスチャンとして信仰を持って、神様に恥ずかしくない生き方がしたいと思い、洗礼を授けていただくことを願いました。

ここまで導いてくださった岩間先生、千恵子先生、いつも騒々しくしている私たち親子を笑顔で迎えてくださる皆様に、心から感謝しています。

今日、新たに生き直し、イエス様を信じ、神様の愛に委ねることで、まっすぐ道を歩むことができることが本当に幸せです。ありがとうございます。