礼拝メッセージ

礼拝で語られる 聖書の言葉

毎週日曜日に行われている礼拝で語られたメッセージを配信しています。
ところどころ、慣れない言葉も出てきますが、全体的には、平易でわかりやすい内容です。

"キリスト教や教会には興味があるけど、いきなり出席するのには抵抗がある"という方は、
ぜひ配信されているメッセージをお聞きになって、
文字と映像から、雰囲気を味わっていただけたらと思います。

※毎週日曜日の午後に更新されます。

2018.09.16

たましいの救いを得ているから

1ペテロ1:1-12

本書の受取人は、迫害のために小アジアの各地に離散・寄留し、困難な中で信仰の戦いを戦っているクリスチャンたちだ。ともすると失望し、挫折し、妥協しようとする者も出ている彼らを、ペテロは、キリストの血による贖いの恵みの深さを示すことによって励まそうとして書いた。

まずペテロは、選ばれていることを自覚させようとした。キリス卜の血の注ぎを受けるための選びであり、それは御霊の聖めにより従順な者になるためだと説く(2節)。ここに、我らを罪から救うキリストの血の力がある。

我らは、かつては罪に死んでいた者で、生まれながら御怒りを受けるべき子らだった(エペ2:1-3)が、罪の赦しをいただいた。罪なき神の御子の血が流されたからだ。それは行いによらず、神の恵みによるもので(同2:8、ロマ3:24)、「赦罪-義認-神との和解-新生」の救いだ。

3-7節に、神の豊かな憐れみによって(エペ2:4,5)新生したクリスチャンの特性が挙げられている。それは、①生ける望み。実現するかどうか当てにできない、不確かな希望ではない。必ず実現する保証付きの希望、生ける神の子キリストが与え給う生ける望みだ。

②朽ちず汚れず消え行くことのない天の資産。この世の富、地位、名誉は、いかに魅力的でも朽ち、汚れ、消えてゆくが、天に国籍を持つ我らには、天の資産が約束されている。我らは、キリストと共同の相続人だ(ロマ8:17)。何という光栄か。

③神の保護。終末の時の栄化の望みを揺るがせようと、世と罪とサタンは躍起となって働きかけてくるが、神の力が守ってくれる。神は、我らの信仰に応じて力を現し給う(詩34:7。

④試練の中での喜び。新生したクリスチャンは試練の中でも喜ぶことができる(ロマ5:3、詩34:1)。悩みや試練はあるが、主が先に悩み給うた。我らの受ける試練はすでに主が経験済みだ(ヘブ4:15)。勝利の主が先立ち給う(ヨハ16:33)から、喜んで耐え忍ぶことができる。

⑤精錬された実験済みの信仰。金が高温の火で精錬されて純度を増すように、信仰も試練の火で精錬されて貴いものになる。よく精錬された純粋・高価な金でもいつか朽ちるなら、まして試されない信仰はいかにもろいか。

こうして見てくると、これらは全き救いをいただいたクリスチャンの特性だと言える。「我らを新しく生まれさせて…」とは新創造の恵みのことだ。罪赦されクリスチャンになっても、なお神に喜ばれない自我、肉を十字架に付けて始末し、キリストの内住をいただく、というところから、生ける望み・天の資産を確信することができ、神の保護に信頼することができ、試練の中でも喜ぶことができ、信仰が純化された歩みが始まる。そして、そういう者が、キリストの再臨のとき、称賛と光栄と栄誉にあふれる。だから、どうしても新生したクリスチャン、新創造されたクリスチャンにされたい。

我らはキリストを見たことはないが、キリストを愛しており、信仰によって、輝きに満ちた喜びに溢れている(8節)。これが新創造されたクリスチャンだ。たましいの救いを得ているから(9節)、見ない御方を愛することができる。生ける望み、天の資産、神の保護、試練の中の喜び、精錬された信仰は、すべてここに帰結する。

これほどの救いは、旧約の預言者たちは詳細に調べたが得られなかった(10節)。キリストを知らなかったからだ。また、御使いはこの救いをはっきり見ることができない。彼らは、罪と汚れから贖われ、尊い救いをいただいた我らを、羨望の眼差しで見ている。それほどのたましいの救いを、我らは得ることができる。無駄にしてはならない。渇いて真剣に求め、信仰をもって、たましいの救い、全き救いをいただこう。