礼拝メッセージ

礼拝で語られる 聖書の言葉

毎週日曜日に行われている礼拝で語られたメッセージを配信しています。
ところどころ、慣れない言葉も出てきますが、全体的には、平易でわかりやすい内容です。

"キリスト教や教会には興味があるけど、いきなり出席するのには抵抗がある"という方は、
ぜひ配信されているメッセージをお聞きになって、
文字と映像から、雰囲気を味わっていただけたらと思います。

※毎週日曜日の午後に更新されます。

2016.11.06

御言葉の力

マタイ13:1-9、18-23

イエスは人々に、多くのたとえを使って神の国の話をされた。“種まきのたとえ”もその一だ。ある人が種をまいているうちに、ある種は道ばたに落ちた。すると鳥が来て食べてしまった。ある種は岩地に落ちた。すると、少し芽を出したが、太陽の熱で枯れてしまった。ある種はいばらの地に落ちた。すると、ある程度成長したが、いばらに邪魔されて成長が止まってしまった。良い地に落ちた種は、十分に成長して、多くの実を結んだ。

このたとえは、神の御言葉を聞く我らの魂がどうかを教えている。道ばたのような固い魂では、御言葉は入らず、サタンが奪ってしまう。岩地のような薄っぺらな魂では、初めは喜んで御言葉を聞いていても、受け取り方が浅いため、困難や不都合なことが起こってくると聞かなくなり、御言葉がその人のものとならない。いばらの地のような魂では、この世のものに心を奪われて、御言葉に従うことをやめ、実を結ばなくなる。しかし、よく耕された畑のような柔らかい魂なら、御言葉をしっかり受けとめ、素直に信じ、へりくだった心で従っていこうとするから、豊かに実を結ぶ。

御言葉が実を結ぶとは、御言葉に示されたイエスの十字架による救いがその人のものになり、喜びと平安が与えられ、いつも神を賛美しながら、神の御心に従っていく生活を送るということだ。

 

御言葉には力がある。どういう力か。

(1)我らの内を照らし、罪を明らかにする力がある。ヘブル4:12。神の御言葉は生きていて、鋭く我らの魂を刺し貫く。素直に御言葉の前に出て行くなら、御言葉の光に照らされて自分の罪がわかる。認罪は悔いた砕かれた魂に神が与え給うものだ(詩51:17)。

(2)我らの魂を救う力がある。ヤコブ1:21。自分の罪がわかったら、悔い改め、キリストの十字架を信じる。そうするなら、御言葉の約束のとおり、すべての罪が赦され、我らは救われる。十字架の血によって義とされた魂となるのだ。

(3)我らに御国を継がせる力がある。使徒20:32。御国を継ぐとは、神の資産を相続すること、つまりキリストと同じ栄光の姿に変えられることだ。罪が赦され救われたのに、まだ神に喜ばれない古い自分がのさばったままでは、御国を継ぐことができない。

しかし、御言葉にはその力がある。我らが御言葉に従い、意志と信仰をもって古き人を十字架に付けるなら、キリストに内に生きていただくという恵みをいただくことができる。この恵みによって、御国を継ぐ魂になるのだ。

(4)我らの魂を育てる力がある。使徒20:32。魂が成長するのは、御言葉に聞き従う時だけだ。魂の成長は、御言葉に聞き従うことによる(1ペテ2:2)。

(5)我らの歩みを守る力がある。詩篇119:9。御言葉の光に従って歩むなら、日常生活において道を踏みはずすことなく、勝利をもってまっすぐに歩んでいくことができる(詩119:105)。

御言葉は力だ。柔らかい素直な魂で聞き続けよう。この終わりの時代、御言葉の力を減じようとする力が働く。この世、またサタンは御言葉を聞かせまい、御言葉に従わせまいとやって来る。しかし、妥協せず、信仰によってサタンを退けよう。御言葉が語られている所を戦い取っていこう。そういう魂に神の祝福が豊かに注がれる。