礼拝メッセージ

礼拝で語られる 聖書の言葉

毎週日曜日に行われている礼拝で語られたメッセージを配信しています。
ところどころ、慣れない言葉も出てきますが、全体的には、平易でわかりやすい内容です。

"キリスト教や教会には興味があるけど、いきなり出席するのには抵抗がある"という方は、
ぜひ配信されているメッセージをお聞きになって、
文字と映像から、雰囲気を味わっていただけたらと思います。

※毎週日曜日の午後に更新されます。

2016.05.01

良い牧者キリスト

ヨハネ10:1-18

イエスはこの福音書の中で、ご自分を世に表すために、何度も「わたしは…です」と言われたが、ここでは門(9節)、良い牧者(11節)と言っておられる。いずれも主がどういうお方かをよく示す。

前章で、イエスによって目が開かれた盲人が主と再会したとき、主は、心がかたくななパリサイ人たちを痛烈に批判された(9:39,41)。イエスの思いは、手軽に癒されている哀れな群衆に対する愛だった(マタイ9:36、エレミヤ8:11)。民を養う本当の牧者がいない現状に心を痛め、ご自身こそ真の牧者であることを示された。

 

1.イエスは羊の門

イエスは、羊が囲いの中に入るために通る門だ。羊(=我ら)が入る囲いとは、魂の救いを得て、神との交わりに生きることだ。旧約時代、民が神に近づくためには、贖いの犠牲が必要だった。イエスは世の罪を取り除く贖いの小羊となられた(ヨハネ1:29、ヘブル9:12)。

主の血の贖いを受けた者(=信じた者)は、必ず魂の救いを得、自由と満足を得る(9節)。罪の赦しを得、罪の束縛から解放され、平安を得る。明確な救いを得るには、認罪-悔い改め-十字架信仰という門を通ることが必要だ。

 

2.イエスは良い牧者

良い牧者(11節)の条件は、①羊への犠牲的愛、②羊の健康状態を見分ける力、③羊を健全に養い育てる力を持っていることだ。

①主は我らを犠牲的な愛で愛してくださった(ヨハネ15:13、1ヨハネ3:16)。我らは愛していただくに値しない者、罪のために滅びゆく者で、神を知らず、自分勝手な生き方を続けていた。そんな我らを、ご自分のいのちを投げ出して救ってくださった。徹底して御心に従い、ご自分から十字架にかかられたのだ(18節)。十字架は主の従順の究極の姿だった。

②イエスは我らをよく知っておられる(14節)。牧者は羊を一匹ずつよく知っている。羊はこういう羊飼いに信頼してついていく。主は我らがどういう者かを知っておられる。我らは罪が赦されていのちを得る。さらに聖潔(きよめ)の恵みをいただいて、もっと豊かないのちに生きる者となる(10節)。救われても、なお神の御心に従えないという自分の本性がわかり、主の前に出て、自我を十字架につけた者は、キリスト内住の恵みをいただき、内側から強められる(ピリピ4:13)。

③イエスは我らを健全に養ってくださる。羊飼いは羊を良い牧草、清水のもとに導き、十分な養いを与える(詩篇23:1)。羊飼いのもとにいれば羊は安心できる。主は我らを聖霊の恵みによって正しく養い、導いてくださる。養われている証拠は、我らが主のごとく(ヨハネ5:19、8:29)ただ御心のままにと主に従っていることだ。

 

従う者でありたい。平日の歩みにおいて、主を喜ばせることにどれほど心を用いているかが問われる。イエスは、神の御心に従われたから神様に愛されたのだ(17節)。主の養いとは、我らを虚しくさせて神の御心に従わせる養いだ。良き牧者キリストのもとにある豊かな魂の養いをいただこう。